RagnarokOnlineBuldur鯖で大剣を振るい、もがく一騎士の足跡。世界の終焉を眺めながら。


by stand9alone
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1ヵ月以上ぶりですか。

ども、タチコマ(10機目)です。
5月2日以来、更新しようと思えどネタは貧弱で、どう捏ねくり回そうかかと思案している間に1ヵ月経ってしまい。

こんなブログに更新の無い間も日ベースで15人程度の訪問があるようで。そんな稀有な読者に多謝。

そんなわけでROネタでの久々の更新をば。



まぁ、有名何処のSiteなので分かる人には分かるかと思うが。

で、「臨時」に対しての元々の一般的スタンスは『ソロでの狩りが成立し得ないフィールド乃至は、ダンジョンにPTを組んで狩りに行く』であったろう事は想像に難くない。
そのスタンスには、一切『外れ』だの『嫌臨』だのと言う概念、発想が入り込む余地は無い。
しかし、『ソロで狩りが成立し得ない』所での狩りは総じて『狩り効率』が良い。これは、『高自給をたたき出し得る』可能性に直結している。これが、そもそもの問題の始まりではないだろうか。
また、『高自給を叩き出すには其れなりの技量、装備が必要』であることは疑いの余地はないであろう。
上記の事が重なり、ただ単に『ソロが厳しい所で狩りをする』と言う狩り主体者(ここでは、主催側、参加側の区別は不問)の意識が、『高自給をたたき出せる所で狩りをする』と言う意識にShiftした結果、巷で騒々しい事が一部では、声高に、またある一部では激しい議論に行き着いたのではないだろうか。


で、俺の「臨時」に対する姿勢は、『PTとして狩りを出来る(成立とは全く違うことに留意せよ)事』を素直に感謝すべきでは無いのだろうかと言う事。

その臨時で意気投合できる仲間に出会えれば、「Zeff-岸屋-Za/Xa」のような関係を築けるのかもしれない。その築き上げた関係で、多いに『外れにならない』議論をすれば良い。だって、意気投合したんだから、『狩りに対するスタンス』は根本的には一致、もしくは近似であろうし。

そうではない状況では、『外れ』云々の議論はしてはならない。
そもそもが、意識が違いすぎる。そんな所で、『外れ』云々の議論は、【意識の共有強制】に成りかねない。そのような事を平気で実行する人間には、誤解を恐れず、オブラートに包まず言えば、『人間として外れ』と言うレッテルが貼られても致し方なかろう。

しかし、何かを考えるに当たって、人の行動を評価せねばならない時もあるであろう。この時には、どうするか。

一般に、『評価』には二種の評価が存在する事をご存知であろうか。
一つ目は、【上下関係の存在する評価】
まぁ、これは一般に『評価』と聞いてイメージする像と一致するものであろう。
もう一つは、【平等な立場での評価】
そんなものが存在するのかと思うのが普通であろう。しかし、それは厳然と存在し運営されている。一般人(ここになんら、思想のバイアスは無い)には、関係の無い世界である、『学会』での『学会誌に掲載する論文の選定』時に、【平等な立場での評価】が成されている。それを「peer review」と呼んでいる。蛇足では有るが、この事は、実はとある本に書いてある事で、俺もその本を読んではじめて知った事だ。「生物と無生物のあいだ」と言う本の第6章「ダークサイド・オブ・DNA」と言う章内の記述だ。

さて、ではどの様に「評価」をするか。
先ほど、"高自給を叩き出すには其れなりの技量、装備が必要』であることは疑いの余地はない"と書いた。つまり、「評価」するに当たってはその前提となる土台が必要不可欠だと言うことだ。誰もが、それなりの技量を身に付けれられるわけでは無いし、其れなりの装備を誰でも揃えられると言うわけでもないからだ。
したがって、「評価」の方式は【平等な立場での評価】でならなければならない。
だから、"意気投合した仲間内で大いに『外れとはならない』議論をすれば良い"と書いたのだ。

これが、俺の臨時へのスタンスであり、評価のスタンスだ。
読みづらい記事になってしまってはいるが、文才の無い俺にしては良く頑張ったほうと言う事で、勘弁ねがいたい。
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by stand9alone | 2007-06-13 11:09 | RO用の情報庫